2009年9月21日月曜日

破れたジーンズ。

写真は僕が履いているジーパンです。
破れた所を自分で裏当てをして、ミシンで叩いて直して履いています。
でも直すと他にテンションが掛って又破れての繰り返し。追いつかなくて一か所は今は破れたまま。
それでももう8年は履いてる愛着のある1本。
僕は毎年春に1本ジーパンを買い、ほとんどをジーパンで過ごします。

「破れたジーパン」は社会人として、自覚が無い人の服装の代名詞のように言われています。
僕ももちろん服装はその場に応じて合わせる事が礼儀だと思っていますので、人前に出る時はシャツ+ジャケットを着用します。
でも、パンツはジーパンかチノパンです。

それは、スーツであれば全てOKという考え方があまり好きでは無いからです。
こう言うと、スーツが嫌いなの?と思われますが、むしろ好きです。着ませんが(笑)

スーツが誕生してから150年近くほとんど大きなシルエットの変化が無いのに、襟の太さや、ボタンの位置、サイジング等で時代を表現するストイックさと、大人の渋さは大好きです。
ですので、スーツ自体が嫌いなのでは無く、何度も言いますが「スーツを着ていればOK」という考え方が嫌いなのです。なんか「これでもくらえ!」と言っている気がするのです。

以前研修へ行った時、講師をされていた大学の先生が、自分の職場の大学に「破れたジーパン」を履いて来た人の話をしました。
「こんな世間知らずではいけませんよ」とおっしゃりたいのだと思います。
そして続けて「人は見た目や肩書で判断します。例えば僕が急に近所通ったからと言って障がい者施設に見学させて下さいと言っても、何ですがお引き取り下さいとなりますが、~大学で障害福祉を研究している教授だと言えば、どうぞどうぞとなるでしょう」と。

なりません(笑)
僕ならその大学に対して抗議します。
その感覚は「破れたジーパン」を職場に履いて来た人と何の違いがあるのでしょうか。

僕なら事前に申し込みをして「破れたジーパン」で当日来る、教授でも何でも無い人の方がよっぽど好感が持てます。

失礼の基準。
世の中は難しいですね。